2016年10月11日火曜日

ベッキーと河野多恵子、そして日本の「かわいい」文化を考える


私が今年の初め、ロンドンの大和日英基金本部で講演をしていた時、ルーシー・ノースさんという、フェイスブックでの友達に初めて会った。ルーシーはそのイベントのために、わざわざ遠いところからやって来たのだった。ルーシーという人は、一晩や二晩、じっくり話し込まなければよく理解できないのではないか、と思わせる人だった。マレーシアで育ち、ケンブリッジ大学で日本学を専攻し、ハーバード大学で日本文学の博士号を取り、アメリカに8年間住み、それから東京には13年……

ルーシーは、自分で20年前に翻訳したという、河野多恵子という作家の(写真下)短編集を私にくれた。「河野の作品を知っていますか。」と聞いて、自分は河野の作品が大好きだと言った。その本の題名は、どう見ても変わった(しかもはっきり言って、かなり不気味な)もので、「幼児狩り」といった。おそらく自分では選ばないだろう本であったが、わざわざ私に渡された本であったので、翌日の夜、帰りの電車で読んでみることにした。


私は、ここ2,3か月、すでに自分でも「不愉快な」日本の本を読んだと思っていた。村上龍の、サド‐マゾ セックスを露骨に描いた短編集の英語版、「東京デカダンス」や、野坂昭如の、(美しいおとぎ話風に書かれているとはいうものの)あらゆる種類の身の毛もよだつような戦時中の恐怖が描かれている「小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラ」の批評を書いたからだった。それでも、この「幼児狩り」は、今までの中で断然、一番不気味であるとともに刺激的であったと言わなければならない。「幼児狩り」は、戦後日本の、重要であるが比較的知られていない女流作家が書いた、1960年代を舞台にした短編集で、どれも女性が主人公である。

河野多恵子は、昨年1月に88歳でこの世を去った。彼女は、変態的欲求というタブーを描いた谷崎潤一郎の影響を公認していた。河野の主人公も、ノイローゼを病み、嫌悪と欲求をかろうじて抑制している。その多くは、マゾで、たとえば、ある主人公は、思春期前の少女を嫌悪する一方、思春期前の少年を、支配しようとする。しかしながら、彼女の小説がその力量を発揮するのは、そのような複雑な心理状態を、まるで当たり前のように描いている点である。村上龍は、たいていは性労働者の世界であるサド‐マゾを、生々しくセンセーショナルに描いているが、河野は、まるで余談であるかのようにさりげなく描いているのである。

河野の小説は、谷崎潤一郎が書いたものよりはるかに不安な気持ちにさせると言わなければならない。というのは、河野はその「変態的欲求」をあからさまに書くのではなく、禁欲的に、その女性主人公の性格に内在しているものとして描き、辛辣な諷刺とブラックユーモアとして明らかにするからである。私にとって、このような欲求は、女性が心理的に抑圧的な社会的制約のもとで暮らすことを余儀なくされた時、よくある状況ではあるまいか、と思われて仕方がない。1960年代の日本の女性が、無理やり結婚させられ、まるで子供のように夫に養われながら隔離された生活を送り、母になるという生理的な宿命を全うするように強いられている、と感じた時、その女性の日々の心理的葛藤が、変態的欲求に形を変え、はけ口を見出すというのは、当たり前のことではないだろうか。それが、たとえば自虐行為であったとしても、あるいは自分と同じ性の幼児に対する本能的な嫌悪感であったとしても。


河野の小説の中で何度も出てくるテーマは、「偽りの親」とでも言うべきもので、血のつながった親戚だと思っていたものが実は他人だったことが露見するとか、子供の世話をまかされた義理の親が、実はその子供をひそかに嫌っているが、その縁を切れなくて苦しんでいるとか、そういった形で描かれている。たとえば、「雪」という、それは悲しい話の中で、主人公の女性は、父親の妾の子で、義理の母親としての父親の妻が、その子のしつけを強制的にさせられている。ヒステリックになったその母親が、まるでメデューサのように、ほぼ同じ年のわが子を、雪の中にほおりだしたままにして殺してしまうのだ。河野の小説の中で、河野は、日本そのものを、心理的に抑圧された女性たちにとっての「偽りの親」であると判断している、と強く感じざるを得ない。その女性たちは、自分達の主体性を抑圧し、それを偽りで、無理強いされたものにすり替えようと努めなければならないのだから。

河野の、苦痛であるにしても辛辣な小説を読んでいるのと同時期に、私は日本のテレビタレント、ベッキーが(写真上と下)日本のテレビから締め出されていく様を追っていた。ベッキーは、かわいくて、活発な31歳の女性で、日本のテレビや広告のいたるところに出ていた。日本の若い世代にとってのアイドルであり、理想の人であったベッキーであったが、ラインで、27歳の妻帯者のポップシンガー、川谷絵音に送った、不倫をほのめかすメッセージが明るみに出たとたん、日本のテレビ界から締め出されたのだった。(川谷が結婚していたということが、同じ時に明らかになったという、異様な状況であったということも言っておかなければならないが。)

特に欧米のメディアでは、日本のエンターテインメント界におけるマネージャーが、いかにタレントを強く牛耳っているかを物語り、(ベッキーのマネージャーは、彼女が10本もあるテレビのレギュラー番組から外れたほうがいいとさえいったらしい)また女性蔑視の男女間格差をも物語る出来事だとして大騒ぎになった。川谷自身は、彼が「姦通者」であるにもかかわらず(まるで明治時代の話をしているようだが)、彼のキャリアは、同じように影響を受けなかったからだ。

私も同感ではあるが、個人的には、この分析は核心をついていないと思った。私は、単に女性一般に対する日本社会の制約が露見したというだけ以上の事があると思った。

ベッキーは、日本の「かわいい」文化の権化であった。私は去年のクリスマスに、三代目 J Soul Brothersというバンドの7人の男性メンバーが出ている彼女の番組を見ていた。そのメンバーは、みんな20代から30代で、ガールフレンドに送る完璧なクリスマスプレゼントを思いつくように言われた。ベッキーともう一人の女性司会者がその順位を決めることになった。

メンバーの一人が、一緒に泊まっているホテルの部屋に、予期せぬプレゼントとして届くようにとプレゼントを選んだ。するとベッキーは、その漫画のように大きくて美しい目をして、そんなに早く彼女をホテルに連れて行けると思わないで、ととりすまして彼をたしなめたのだ。日本では、付き合っている男女がホテルでクリスマスの夜を過ごすのは当たり前になっているのに、である。一方で、他の二人のバンドメンバーは、東京デイズニーランドのチケットをクリスマスプレゼントとして選んだ。ベッキーも、もう一人の司会者も、それが一番ロマンティックなプレゼントだと言った。

欧米では、デイズニーランドは小学生以下の子供を連れて行くところで、もし30代の男性が31歳の女性、デイズニーランドにデートに連れて行くと言ったら、その男性は、ちょっと変わっているか、あるいはわざと皮肉を言っているかのどちらかだと思われるだろう。しかし日本の「かわいい」文化では、女性は永遠に子供のようでいることが好まれ、デイズニーランドに行くのは、受け入れられる、というだけではなく、理想のロマンティックなお出かけなのだ。

その番組はもちろん、始めから終わりまで「やらせ」だった。ロックバンドの男性メンバーは、女性ファンが数知れず、ホテルの部屋で楽しむことには事欠かないだろう。しかしこのファンタジーの中では、ベッキーは単に出場者というだけではなく、「かわいい」の何たるかを決めるその人なのである。それだからこそ、実際はもっと俗っぽい-つまりは普通の大人の女性-と言う事がばれてしまったら、テレビのパーソナリティを維持することはもはや難しいのである。

しかし私にとっては、ベッキーの出来事は、単にテレビの経営の仕方に関してでも、テレビにおける男女の取り扱いの格差に関してでもなかった。それは、いつもは隠されている、女性が子供のように、うぶにふるまう事を要求する圧力が、あまりにも鮮明に表されたものだった。それをしそこなった時、つまり、ありのままの女性-知的で、自立していて、たまには危ないこともするような-そんな女性になった時、河野の小説「雪」にあるように、女性は比喩的な雪の中にほおり出され朽ちていき、もっと社会の要求するイメージにあった身代わりが、取って代わることになるのだ。

「かわいい」文化に対して、あまり否定的であるように思われたくはない。それはそれなりの魅力があるし、もっと冷笑的で傍若無人な西洋の態度の方がいいと言うつもりもない。しかし、多くの知的な日本人女性は、かわいくあることを常に求める文化の中に閉じ込められていれば、心から思いっきり叫びたくなることだろうと思わざるを得ない。

何かできることがあるのだろうか?現代日本の女性に真に同情し、作られた「かわいい」文化ではなく彼らの真の心の声を聞くためには、日本の女性作家に目を向け、注意深く彼女たちの言わんとしている事に耳を傾ける必要があるだろうと私は思う。その分野でまず読むべきものとして、この奇妙な題名の本、そして女性の、子供としてではなく、複雑な大人として扱われたいという心からの叫びである、「幼児狩り」を推したいと思う。

2 件のコメント:

2008nov さんのコメント...

I read your blog by chance.
This is impression for me and your comment is very kind.
I could have interested in the novel.
Thank you very much.

2008nov さんのコメント...

Which type of female Do you like?Kawaii?
Do you feel like to go Disney land?
In japan most of females are reqired being Kawaii,
Times change, but Emperor and Prime Minister are always Man,
never change into Woman.
This is Japanese big problem.