2016年11月18日金曜日

人生の知恵を教えてくれる「勧進帳」


もう30年ぐらいも前に、始めて Blake’s Sevenという、イギリスのサイエンスフィクションのドラマを見たが、その時のワンシーンが、今でも忘れられない。その中で、Blakeを中心とした反逆者たちのグループが、ある出入り口を通り抜けなければならなかったのだが、そこには、目に見えない力で守られている障壁があった。Vilaというインテリが(写真上)、何とかしようとするのだが、どのようなコード番号を入れようとも、どれほどのエネルギーを使おうとも打ち破ることができない。そのうち、やっと彼は気が付いた。そうだ、この障壁はエネルギーを使えば使うほど、そのエネルギーを吸収して、よけい強くなるんだ。それを開けるには、その目に見えない力が機能できなくなるような、ほんのわずかのエネルギーだけを使えば、その障壁は消え失せるのだ。

私たちはいつも、成功するためには、自分の持てるすべての力を注ぎこまなければいけないと言われてきた。たいていはその通りだろうが、時には、できるだけ何もしない方がいいこともある。たとえば、資料を作るだけのために雇われているような官僚たちに出くわした時には、できるだけ何も教えない方が、さっさといなくなってくれるものだ。イライラして、いろいろなややこしい事を持ち出そうとすると、ますますその行政の「見えざる力」はどうしようもなくなってしまうのである。

こんな風に、サイエンスフィクションを見ていて人生訓を得られることもあるが、歌舞伎を見れば、もっとそうである。荘厳なだけでなく、鋭い心理的洞察力を持った歌舞伎のすごさがよく知られていないのは、残念で仕方がない。

たとえば、「勧進帳」は、世界の歴史上で現れた数々の劇の中でも、特に優れた劇であるといえるだろう。「勧進帳」を見れば、今までに経験したことのないような、またとない壮大で、心躍る夜を劇場で過ごせるだろう。しかし、それは日本文化と特に関係があるからというわけではない。なんと「勧進帳」は、日々の生活をどう過ごすべきかについての深淵な知恵を、教えてくれるのである。

舞台は12世紀、義経は、自分の兄である頼朝の怒りをかい、少人数の忠実な家来たちと共に北に逃走中である。頼朝は、自分の地位を脅かすかもしれない義経を抹殺すべく、北に向かう道に番人と関所を設けた。頼朝の家来たちは、何があっても義経を逃すなと厳しく言われていた。
義経は、美しい青年で、弁慶に守られている。見つからないように、山伏に姿を変え、自分達の寺に献金してくれる者を探しながら、旅しているということになっている。その献金者の名前を、勧進帳に記す、というわけだ。

あらすじはざっとこんなものだが、面白いのは、Blake’s Sevenの時を同じように、どうしたらこの関所を無事に通り抜けることができるか、という単純な部分にある。

関守の富樫は、すぐにこの山伏の一行が義経をかくまっていると疑う。その後、弁慶と富樫との心理合戦が繰り広げられるのである。緊張感が徐々に高まり続けていく、手に汗握る展開である。とうとう、義経が今や捕まえられてしまいそうになった時に、弁慶は、武士の掟からは到底考えられない行動に出る。自らの主君である義経を、だらしのないお供だとでっちあげ、杖でたたき、早く行けと促すのである。

この場面は、富樫がそこまでして義経を助けようとした弁慶に同情して、この一行を行かせてやった、と通常は解釈されている。しかしながら、個人的には、私はその解釈に疑問を抱く。富樫は本当に同情だけで動かされたのか。それとも、むしろ、チェスのゲームにおいてでもそうであるように、富樫は弁慶との(写真右)はりつめたやりとりの中で、弁慶のあまりにも見事な戦略を称賛せざるを得なかったのではないか。その、実現不可能と思われた事を、実現させてしまった手腕に。
さて、一行が無事に関所を通り過ぎた後、弁慶はひとり舞台に残っている。この後、この歌舞伎の中で一番の見せ場とも言える部分が続く。自分の主義を曲げなければならなかったことに対する葛藤に苦しむ一方で、それでも主君を救う事ができた喜びに一段と決意を固める弁慶は(写真左)、見得を切って、花道を「飛び六方」で舞台を去っていく。われらのヒーロー義経は、間一髪で捕まえられそうになったが、これでまたもう一日、生き延びることができたわけだ。

この素晴らしい舞台を理解するには、その普遍的な洞察力に気づかなければならない。

日々の生活の中で、どうしようもない障害に行く手を阻まれることがあるだろう。そんな時のために、勧進帳から次のようなことが学べるだろう。まず、ときには全く思いもしなかったような事もしなければならないと言う事だ。それが、自分にとってどうしても曲げたくない主義を曲げることになるとしても。

第二に、目前の障害物とは、たいてい、人であることが多い。その敵を負かすには、勧進帳で弁慶がやってみせたように、心理的にその敵の敵対心を取り除くことである。自分の立場をしっかりと示し、これ以上敵対するのは意味がないと感じさせることである。

この鋭い心理的洞察力は、私たちの日々の生活においてのみならず、一国の、そして国際政治においてすら意義があると言える。たとえば、イデオロギーの違いで敵対する執念深い相手が、力では勝てないとしたら?どうしたら、その相手の考えを変え、障壁を取り除くことができるだろうか。それは、相手に、自分たちの立場こそを変える必要があると言う事をわからせることだ、と勧進帳は教えてくれる。

かく言う私も、ほとんど毎週のように、何らかの危機に面する羽目になる。それが仕事上の事であろうと、面倒くさいお役所手続きに関することであろうと、あるいはやっかいな家族の問題であろうと。そして、今度こそはもうだめだ、と思いながら。しかし、そんなときはいつも、勧進帳が、通り一遍に考えずに、心理作戦で人間の障壁をこじ開けるのだ、と言う事を思い出させてくれる。知らず知らずのうちに、私は台所で、弁慶のように苦しみと喜びに顔を歪ませながら、「飛び六方」で台所を駆け抜けていくのである。

だから、もし歌舞伎を見る機会が訪れたら、逃すべきではない。そして、歴史的な事にこだわらずに、その歌舞伎が教えようとしている人生の機智を、捉えるべきなのである。

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

よくぞ書いて下さった。歌舞伎を見たく思う良い契機になりました。
勧進帳を見てから 陀彌庵さんのブログを再び拝読して 感想を書かせて頂きます。