「The Three Cornered World」は、アラン・ターニー氏が1965年に英訳した、夏目漱石の『草枕』(明治39年)の英語の題名です。ロンドンのピーター・オーェン社が2005年に、夏目漱石の小説の英訳を再出版して以来、小阪美鈴氏の題字が載せられた第四目の本ともなります。その少し妙な題名は『草枕』第三章の以下の文章に由来しています。
して見ると四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。
『草枕』は漱石の最も「芸術的な」小説であるので、今度はどういう書作品を書いてくださるか、ロンドンでずいぶん期待していました。そして、小阪美鈴氏の限界を知らない、斬新な想像力が私たちの期待を裏切りませんでした。
『草枕』の愛読者はご存知だろうが、この小説のテーマは、画家が田舎の温泉へ旅して、しばらくの間、「非人情」という態度で世界を見てみようという話です。旅館の御那美というお嬢さんに魅惑されて、ミレーの『オフィーリア』のようなポーズで描いてみたいと考えながら、どうしてもその絵画にぴったり会う、彼女の顔の表現は思い浮かびません。
『倫敦塔』、『門』、『こころ』の英訳の新版に、小阪美鈴氏がすぐれた「書」を書いてくださったが、それぞれの本に、表紙が「標準的な」書で、中扉はもっと独創的な、伝統に束縛されていない書にする、というパーターンでした。「The Three Cornered World」の表紙にも、「標準的な」書が載せられるが、ずいぶん象徴的な意味も含まれているに違いありません。
「草」の下部分は、「枕」の真中に向かって、まっしぐらに落ちていますが、小川を流れている、おぼれ死ぬオフィーリアという、『草枕』の中心的なイメージが暗に再現されているでしょう。「情に掉させば流される」という冒頭の有名な文章を連想させるよう、「草」の「早」はまるで手を広げて、足をそろえた人間が落下する流れに巻き込まれたようです。「草」の冠はその激しい早さに置き去りにされてしまうほどです。(そして、皮肉なことに、冠なしの「草」は「早」そのものです。)
その止められない、墜落する体が向かっているのは、下の「枕」です。「枕」は、言葉通り、やわらかい「枕」なので、やや安心です。そして、「枕」の上から下まで両側を開けて、受け取りやすい「V」という形で構えているので、落ちるオフィーリアをすばやくキャッチするではないでしょうか。しかし、あいにく、落ちる人体が下の「枕」の両側を完全に押し分けて、落下し続ける恐れも認めざるを得ません。「非人情」という「枕」は、「情の流れ」を止めるのに、不十分であるかもしれません。
表紙の「標準的な」書に、これほど深長な意味があれば、中扉の「芸術的な」書に、解説がますます複雑になります。これは紛れもない傑作だと思います。どうやって創造者がこの作品を作ったかと考えると、まるで、象徴を含んだ日本の書道が、伝統の限界を超えて、カンディンスキー、ミロ、ピカソなどの巨匠の芸術と融合して、なにか真新しい、深遠なものを生み出したと気がつきます。
今度は、同じ二つの字が繰り返して、繰り返して、永遠に変形したり、順応したり、進化したりする、意識の流れの断面図が展示されています。字を特定の書き方で習字を教える、書道の四角四面の伝統とはこれほどかけ離れたものはないでしょう。それどころか、小阪美鈴氏はその保守的な拘束の嘘を暴いています。それぞれの字は、宇宙のあるゆるものと同じように、一刹那ごとに変わる、観察者のユニークな視点によって再評価されて、再見されています。ここで、小阪美鈴氏は、『草枕』における漱石の見方だけではなくて、『文学論』の根本的な概念を把握したと思われます。すなわち、世界のあるゆる主題も、その主題がどうやって私たちを影響することも、永久的に進化しています。さらに、芸術家は、(そしてすべての人間の中にある芸術家は)世界の主題を再調整したり、再想像したりして、記憶と、夢と、気分と融合させて、ようやく観察された物体についても、観察する人についても何か隠された真実を明かすものを生み出します。生み出す途端に、その作品が共同的な意識の流れにもう一度投げ込まれて、無数の新しい形で再生されています。
今度は、感情の意識の流れに運ばれているのは、一人のオフィーリアではなくて、多数のオフィーリアです。同じように、新しい読者と、再読と、新しい見解を求めて、新しいインスピレーションを与える、多数の『草枕』もあります。
そして、その上右の角の空白はなんでしょうか?これは言うまでもなく我々の出発点でしょう。小阪美鈴氏は、みんなの人間の出発点はそれぞれに違うので、定義できない空白と等しい、と主張しているでしょうか?それとも、我々はみんな一つの共通なところがある、と主張していますか?即ち、芸術や美術に専念すれば、我々もいつも常識と名のつく、一角を亡くした「三角の世界」にも住まなければならないと。
1 件のコメント:
ダミアンさん おひさしぶりです。以前、ご自宅に訪問した中村です。ダミアンさんの本を読んで、益々、漱石を楽しんで読もうと思います。コンタクトアドレスにメールを打ちましたから、読んでください。 中村 光男
mtsnkmr@googlemail.com
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