最近は忙しくて、日本の新聞を読む時間すらないです。それで、今日、カバンから一ヶ月前の朝日新聞を取り出して、「天声人語」を読むと、以下の面白い文章に出会いました。
「確かに名前には不思議な力が宿る。作家三島由紀夫の本名は平岡公威。若々しいペンネームに比べ、荘厳な感じだ。もし本名で書いていたら、あの若さで死を遂げることはなかっただろうという見方を、どこか読んだ記憶がある。」
三島さんの自殺した理由はその名前にあるという説は、初耳です。
ちなみに、同紙の3ページめの「人」欄に、ベトナム系米国人作家モニク・トゥルンさんのことが紹介されています。小泉八雲を描く小説を執筆中だそうです。楽しみです。
2015年8月5日水曜日
2015年4月30日木曜日
『それから』とニーチェ
朝日新聞で夏目漱石の『それから』が只今連載中だ。小説の解釈は様々だが、私見では、ニーチェとの関連はその最も興味深い要素だ。
へえ?ニーチェ?漱石がニーチェの作品を細かく読んどことはあまり知られていないが、漱石の小説にニーチェの影響は極めて大きい。
漱石が初めてニーチェの名作『ツァラトゥストラ』を読んだのは、明治38年(1905年)だと思われる。ドイツ語の原文ではなく、アレキサンダー・ティールの英訳(1896年)を、どんなに克明に精読したのか、漱石の書き込みを見ると、一目瞭然だ。漱石蔵書2400冊の中で、その書き込みは、他の作品におけるそれを遥かに凌ぐ。『ツァラトゥストラ』に対する漱石の考えは、変形の過程をたどり、乱れた感情を抜き出してから、滑稽なニュアンスを加えられて、『吾輩は猫である』の中に数多く散布されていった。
そのあと、『野分』、『文学論』、『三四郎』などで、ニーチェのことが繰り返して論じられている。
当時の日本では、ニーチェという名前は知られていたが、漱石のように、ニーチェの作品を厳密に読んだ人はほとんどいなかった。
『それから』が書かれた明治42年(1909年)に、生田長江という若い学者が『ツァラトゥストラ』を日本語に翻訳し始めた。しかし、ドイツ語の原書から直に翻訳する自信を持っていなくて、二種類の英訳を使っていた。優れた英文学者であった漱石は、この英訳に関して無比の相談相手であった。そのため、1909年の4月、6月、7月に、生田が漱石の家を訪問したことが漱石の日記に記されている。
しかし、この翻訳活動は漱石と生田との不思議な間柄のために、意外な方向に展開していった。実際は漱石が生田を非常に嫌っていたのがすぐ明らかになった。『それから』に現れる寺尾という翻訳者に対するかなり批判的な描写は生田に対する漱石の残酷な風刺であった。漱石は寺尾を、金銭に悩み、仕事にだらしない翻訳者のように描いているので、生田が漱石と相談するのをやめて、代わりに森鴎外の許へ行った。
当然なことに、ニーチェ思想との漱石の取り組みが『それから』にも現れてくる。例えば、ニーチェは「勇気はまた同情をも打ち殺す」と書いたが、漱石はそれを逆手にとって、また同情できるようになるために、自分の中に勇気を見つけなければならない代助を描く。三千代との出会いによって、同情を与える能力が回復した代助は、初めに軽蔑していた寺尾を、小説の終わりに、気の毒に思って、実は自分より「自然の子」だと考えるようになる。そのうえ、父が仕送りしなければ、代助も寺尾のように、翻訳することで、生計を立てなければならない羽目に陥る。皮肉なことに、彼は第二の寺尾になりかねない。。。
朝日新聞の読者たちよ、拙著『日本人が知らない夏目漱石』などで、『それから』とニーチェの面白い関連をぜひ探検してください。
2015年4月27日月曜日
毎日新聞の記事、ユーチューブのインタビュー
先週、毎日新聞ロンドン支局の小倉孝保さんに会って、インタビューを受けました。そのあと、拙著『三島由紀夫』の新しい三島像が毎日新聞の「発信箱」欄で紹介されていました。
http://mainichi.jp/opinion/news/20150225k0000m070114000c.html
小倉孝保さんが今月の「アジア時報」の「毎日新聞特派員の目」欄で私の漱石研究も紹介してくれます。小倉さん、ありがとうございました!
ユーチューブのインタビューも日本語で受けました。以下のとおりです。
https://www.youtube.com/watch?v=bmdAW_msf38
http://mainichi.jp/opinion/news/20150225k0000m070114000c.html
小倉孝保さんが今月の「アジア時報」の「毎日新聞特派員の目」欄で私の漱石研究も紹介してくれます。小倉さん、ありがとうございました!
ユーチューブのインタビューも日本語で受けました。以下のとおりです。
https://www.youtube.com/watch?v=bmdAW_msf38
2015年1月11日日曜日
関西の楽しさ
恥ずかしながら、日本語のブログを載せたのは何と四年ぶりだ。時間はどこに行ってしまっただろうか。その四年間の間に、二人の娘が生まれ、赤ちゃん三人の育児で忙しかったというか、英語の新著・「三島由紀夫」の研究資料集め・執筆に没頭していたというか、イギリスのビジネスで手が回らないというか、いずれも口実にすぎない。やはり自分の惰性がその根本的な理由にある。反省している!年が改めて、日本語のブログを再開する。ちなみに、フェイスブックやツイッター(@damianflanagan)で日本語で唾焼いているので、興味のある方は是非つながってください。
今年は、十年ぶりに、お正月を日本で迎えた。家族五人で西宮の庵に戻って嬉しかった。先月、京都南座の歌舞伎座で顔見せ歌舞伎を見ることが何よりの楽しみだった。昼の部、夜の部、両方たっぷり観劇した。相変わらず、素晴らしかった。そして、子供達も日本を楽しんでいた。マイクロスクーターをイギリスから持ってきて、スクーターを飛ばして郊外のあちこちを楽しく回った。
関西にいる間に、どうしてもやりたいことがありすぎて、時間だけが足りない。神戸の北区、ハーバーランドなどの散歩。ガイドブックを携えて、京都の寺や神社を探検。先月の26日にオリエンタルホテルの豪華なレストランで昼食して、その後、神戸市博物館で古代エジプト展示を見た。そして、何よりも大阪の梅田、心斎橋、難波で夜を過ごすことが私にとって至楽です。昔からの友達とひと時を過ごすのももちろんのこと。(上の写真は、お正月に親友・高木忍さんの家を訪ね、大変なご馳走をもらった場面だ。)
「関西にずっと残りたい」といつも思いながら、イギリスに帰らなければなりません。悔しい。関西の楽しさは私にとって実に無限です。
ところで、最来週の月曜日(26日)、ケンブリッジ大学のアジア中東学部(第八、九号室)で午後5時から三島由紀夫氏について講演するので、興味のある方はぜひ参加してください。詳細はこちら。
そして、2月28日(土)の午後2時から、リバプールのワールド博物館で三島由紀夫氏について講演する。詳細はこちら。
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