2011年3月10日木曜日

「三角な世界」に住みたい



先週、『草枕』英訳である『The Three Cornered World』の新版がイギリスの自宅に届きました。ダミアンの序論・後書きを載せています。中身はともあれ、とりあえず表紙はきれいだなと満足に思っています。

去年、山から棒のような連絡が入って、NHKが『The Three Cornered World』について番組を作成するので、御協力を頂けないか、と聞かれました。はい、はい、ぜひ協力させてくださいと答えました。それで、マンチェスターでインタービューをしたいという話になったが、やはり予算の足が出たか、遠いマンチェスターまでNHKスタッフが行くことが面倒くさかったか、結局、誰もこななかった。(涙)ダミアンの代わりに、東大のアメリカ人の教授がインタビューに出たようです。(笑)

その番組が、幽霊のように、急に現れたり、急に消えたりしたが現世界に残ったのは、その番組のために用意した、『The Three Cornered World』に対するノートです。今日、ダミアン・ブログの大勢の読者たちにその感想を紹介したいと思います。以下の文章を、夜遅く、マンチェスターの自宅で早く書きましたので、覚束ない日本語で自分の意見をうまく表現できなかったと思いますが、何卒御寛恕ください。

NHKが質問したのはは唯一つでした。英語圏では、『草枕』の英訳本である『The Three Cornered World』の評価は何ですか?ダミアンの答えは以下の通りです。

まず、英語圏では、漱石のことはほとんど知られていません。そして、日露戦争に巻き込まれた当時の日本、もっと大きく言えば、明治の日本のことに関する知識さえ乏しいので、英語圏の読者は、『草枕』を英語で読むと、その作品の文芸的な、歴史的な背景をほとんど無視しています。漱石のほかの作品とどういう関係があるかもちろん知らないし、「夏目漱石」という作家はどういう人であったか、わかりません。逆に、まったく、時空を越えた、作家から独立した芸術作品として読むしかないです。そのため、『草枕』に対する日本人の感想と、英訳本である『The Three Cornered World』に対する英語圏の読者の感想は微妙に違っています。

その違いは、やはり、題名自体から始まります。『草枕』を英語に直訳すれば、「Pillow of Grass」になりますが、この小説を1965年に翻訳したアラン・ターニーさんは、「Pillow of Grass」という題名は英語圏の読者にはおかしく聞こえるではないかと考えて、勝手に英訳本の題名を「The Three Cornered World」(三角な世界)に変えました。題名は、『草枕』の以下の文書に由来しています。

して見ると四角な世界から常識と名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。


英訳のほうが1960年代に出たことは注目すべきことであると思います。1960年代には欧米の社会が大きく変わって、従来の画一化された組織、堅苦しい道徳などが崩れて、人間の抑圧さえれた本能が開放されてきました。一語にいえば、個人主義の時代に変わりました。若い人たちが親の時代の先入見を捨てて、世界に対する新しい見方を探しました。1960年代の後半に、ロンドンやニューヨークやカリフォルニアなどで若い人たちがLSDのような幻覚剤を試したりして、体制社会から非難するヒッピー運動が現れました。

『草枕』の英訳本の出現は、この時代の流れの中に入れたいと思います。『The Three Cornered World』という題名自体は、「これは四角四面の世界ではなくて、反体制の「三角の世界」である」と宣言しています。そして、主人公は典型的な日本人サラリーマンのような、権力に服従する人ではなくて、逆に、個人性にあふれているユニークな世界観を持っている芸術家です。彼は、一時的にせよ、社会から非難して、「非人情」の立場から世界を観察したいと思っています。世界を美術の現象として考える実験です。しかし、この社会からの離脱、この俗界を超越した考え方、この主人公の独特の人格は、1960年代の思想の流れにぴったり一致して、『The Three Cornered World』はなぜ、ほかの漱石の作品よりも、欧米に大きく歓迎されたか、説明すると思います。

面白いことに、漱石が主張しているのは、社会からの逃亡、美術世界に専念することではないです。逆に、いくら「詩の世界」が人間の疲れた精神を治療できると認めても、最後に「現実世界」から逃げるのは不可能である、と論じているのです。なぜならば、世界から隔離された『草枕』の温泉場でも、「現実世界」からの波乱がしみこむ。お那美の甥が汽車で満州に出征してゆくという最後の場面では、「現実世界に引きずり出された」と画家は思う。日露戦争が『草枕』の世界をのしかかるように迫るが、同じように、『The Three Cornered World』が出版された1960年代に、ベトナム戦争がヒッピーの非現実的な世界を揺さぶった。最後に、現実世界の問題とどうしても取り組まなければなりません。

その1960年代に始まった「個人主義の時代」が今でも続いていて、『The Three Cornered World』を愛読する欧米の読者は少なくないと思います。もし、漱石の作品をはじめて読む人がいれば、『The Three Cornered World』を最初に読ませるほうがよいと思います。私の経験によりますと、欧米の読者は絶対がっかりしないと思います。

しかし、『草枕』と『The Three Cornered World』の違いには、もう一つの大事なポイントは、翻訳そのものの質です。いうまでもなく、ターニーの翻訳はきれいな英語を生かして、大変和やかな翻訳ですが、皮肉なことに、翻訳のほうが原文より読みやすいです。『草枕』には、四字熟語が多くて、難しい文章がたくさんあるので、現代の日本読者にとっては、それほど読みやすいとはいえません。一方、ターニーの翻訳にはその「難しさ」が消えてしまいました。しかし、翻訳に見事に残るのは、言葉の美しさと、芸術などに対する深い考えと、漱石独特のユーモアです。

言うまでもなく、『草枕』を日本語で読む人と、『The Three Cornered World』を英語で読む人の共通な印象も多いです。たとえば、漱石が『草枕』で西洋文学のような小説ではなくて、俳句のような超越した「東洋的な」美しさを表す、世界初めての「俳諧小説」を書いたということです。

そして、『草枕』の楽しさは、小説全体の概念だけではなくて、所々の短い指摘にあるといえます。画家が羊羹を鑑賞する場面、あるいはグーダルという無名なイギリス画家の面白さを指摘する場面は、永久に私の記憶に残っています。

今度、『The Three Cornered World』の新版が出版されますが、はじめて詳しい解説を載せることによって、英語圏の読者に、『草枕』の文芸的な背景を細かく説明したいと思います。たとえば、「非人情」という画家の観念が、どのように、『文学論』で表された、文学に対する漱石の観念と関連するか、と探りたいと思います。そして、漱石初期のさまざまの作品に、視覚芸術を文芸作品に融合させる試みがありますが、姉妹芸術である「美術」と「文学」を一致させようとした漱石の最も大事な小説のひとつは『草枕』です。

英語圏の読者がもう少し夏目漱石の人生や思想などを、そして明治日本の歴史的な背景を知っていれば、世界文学の傑作である『The Three Cornered World』に対する新しい評価が生まれるではないか、と大きく期待しています。

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